〔学会報告〕
物理系3学会共同企画シンポジウム
主題:これからの物理教育・科学教育 ―「2006年問題」と世界物理年―
田中忠芳(鹿児島高等予備校),喜多誠(慶應高校),毛塚博史(東京工科大)
1.はじめに
2005年3月24−27日に東京理科大学野田キャンパスで開催された日本物理学会第60回年次大会において,3月27日午後,上記主題で日本物理学会物理教育分科・応用物理学会応用物理教育分科会・日本物理教育学会による共同企画シンポジウムが開催された.総合討論会は,大山光晴氏,北原和夫氏,日本物理教育学会会長・霜田光一氏をパネリストに迎えて開催された.座長は前半後半とも並木雅俊氏(高千穂大)がつとめた.プログラムは以下の通り:
〔前半〕
1) 新課程高校物理履修状況とその課題 大山光晴(千葉県教育庁)
2)「物理チャレンジ」とこれからの物理教育 北原和夫(ICU)
3) これからの物理教育への産業界の期待 田中一夫(キヤノン)
2.講演の概要と討論の内容
1)
新課程高校物理履修状況とその課題
座長による「2006年問題」の説明のあと,それを受ける形で以下の内容の講演があった:
高校では,平成15年度入学生から学年進行で新課程が始まっており,平成18年(2006年)4月に新課程の生徒が大学に入学する.この「2006年問題」以上に大きな問題が構造的問題として教育行政・教育システムの中に潜在しており,それが顕在化することを危惧している.
新課程の必履修の条件は,「理科基礎」,「理科総合A」,「理科総合B」と「物理I」,「化学I」,「生物I」,「地学I」のうちから2科目が必履修科目(ただし,「理科基礎」,「理科総合A」,「理科総合B」のうちから1科目以上を含む).新教育課程の特徴として,各科目の必履修の単位数が極めて少ないことがあげられる(たとえば,「理科基礎」,「理科総合A」,「理科総合B」いずれも2単位,「物理I」3単位,「物理II」3単位).
千葉県内の進学校での履修状況は,以下のとおり:
高校1・2年生での理科の履修状況
<旧課程>
ケース1: 1年次…化学IB(4単位),2年次…物理IB・生物IB・地学IBから1科目(4単位).
ケース2: 1年次…生物IB+地学IB(併せて4単位)or 生物IB(4単位),2年次…物理IB+化学IB(4単位).
<新課程>
ケース1: 1年次…化学I(3単位),2年次…物理I・生物I・地学Iから1科目(3単位)または2科目(6単位),3年…理科総合A or B(2単位).
ケース2: 1年次…理科総合+化学I(併せて4単位),2年次…物理I・生物I・地学Iから1科目(3単位)または2科目(6単位).
理系コース進学希望者で,3年間の理科総単位数が平均16〜17単位で,新課程と旧課程で差はなさそうである.
千葉県公立高校(102校)1年次理科選択パターン
理科総合A+理科総合B(2+2=4単位):25校
化学I(3単位):24校
理科総合A(2単位):19校
理科総合B(2単位):19校
理科総合A+化学I(2+3=5単位):15校
千葉県公立高校の各科目履修人数(重複含む)の比率は,1年次で,理科基礎:5.5%,理科総合A:45.7%,理科総合B:37.7%,物理I:1.6%,化学I:37.9%,生物I:10.0%,地学I:0.68%.2年次で,理科基礎:2.1%,理科総合A:10.5%,理科総合B:6.3%,物理I:24.2%,化学I:25.6%,生物I:38.6%,地学I:9.1%,化学II:0.81%.旧課程と新課程で履修人数比率に大きな変動はないが,1年次に履修する科目が旧課程では「生物IB」が多かったのに対し,新課程では「化学I」が多いのが特徴.
新課程履修状況については,今後,3年次の選択履修状況(特に「物理II」の履修率),「物理II」の分野選択による授業展開や大学入試問題出題への影響,高卒生の物理の学力を保てるか,などについて注視していく必要がある.
現在,盛んに「教育の成果」が問われているが,そのためには「良いカリキュラム」と「良い指導者」が不可欠.しかし,教育現場に「良い指導者」がどれほどいるか,「良い教員」を採用しているか,「良い教員」を育てているか.いま,教員の活力が低下しているのではないか.
現在の教育現場の仕組みの問題点として,文部科学省→都道府県教育委員会(教職員課,指導課,生涯学習課,企画財政課,etc.)→(教育事務所)→市町村教育委員会といった管轄系統の中で,教育意欲が減退している教員(いわゆる指導力不足教員)の増加に対処する部署が明確でないことがあげられる.実際に,「シラバス,総合学習,学校評価,自己評価などの教育改革に対応できない」教員や,「人の話を聞けない子どもや自分中心の親達など,子どもと親の変化に対応できない」教員が増えている.この原因の一つに,教員の高年齢化と新規採用数の減少が考えられる.千葉県の高校教員の年齢構成を見ると,39歳以下の教員が極めて少ない(1割強程度).全国の公立学校教員採用数の変化を見ても傾向は同じで,平成13年度から小・中学校教員の採用人数が増加してきているが,高校教員は平成16年まで減少し続けている(平成16年度の全国公立学校の教員採用数は,小学校:10.5千人,中学校:4.6千人,高校:3千人).
文科省のデータによると,休職する教員が増加しており,精神神経系の疾患が特に増加傾向にある(病気による休職の占有率は10年前の2倍,そのうち精神神経系疾患の占有率は10年前の2倍以上).いまや教師集団は疲労状態にある.
今後の科学教育の課題として,いかに「良い理科教育の指導者」を育てるかがあげられる.大量採用時代に対応して,新規採用教員をいかに育てるか.特に,新規採用される小学校教員の多くは,当時の教育課程でいわゆる「文系科目」を選択しており,教員としての理科教育レベルを向上させる必要がある.また,理科担当教員の意欲をいかに高めるかも重要であり,そのためには,適切な人事配置,教員自身が学ぶ意欲を高められる研修制度,高齢化しても科学を教える喜びを子どもと共有できるか,が重要となる.そのとき,物理系3学会の果たすべき役割は大きいと言わざるを得ない.お力添えを是非お願いしたい.
質疑応答 ○:大学では科目の選択は学生が行うが,高校では科目の選択を先生が決めるのか.物理を希望して物理を選択できるのか.また,教員採用前の大学側の教育について,どういう感想をお持ちか.大山:1年次は選択の余地はないが,2,3年次では,制約はあるが原則として希望する科目を選択可能である.また,物理履修者は高校生全体の2割であり,教育学部進学者はいわゆる文系で,教育学部出身の小・中学校教員の多くは高校物理を未履修.教員免許法が平成12年度から変わり,生徒指導など教職科目の必須単位が増えた代わりに,教科科目の必須単位数が減らされた.大学の教職単位履修の段階で,理科科目(特に物理)の教育を充実させる工夫を是非していただきたい(教育現場では大変な状況がある).○:子どもや親が変わる中で,教育現場で教員が疲労している状況を承知している.それを理解できるが,そのとき校長や教頭が教員にどのように対応しているかが気にかかる.大山:教師としては,何よりも子どもが話を聞いてくれないことによるダメージが最も大きい.一斉に教師の話を聴かなければならない場面で,“立ち歩き”するのを“個性”だといわなければいけないのは,明らかに教育としてどこかおかしい.教員の力量の問題もあるかもしれないが,小学校,中学校と積み上げて築かれてきたものに振り回されている状況もある.○:教員の研修に関して,大学や学会でも支援する姿勢ができつつある.海外では,夏休みに学生を排除して,高校の先生方の研修の定期的な受け入れを準備したりしている.日本でも,大学と小・中・高校が協力関係をもって研修を行うことが可能な時期に来ていると思うが,小・中・高校の先生方があまりに忙しく,派遣する側にそのような余力がないようでは,せっかくの機会も無駄になってしまう.このような研修では教員同士の接触があり十分な意義があると思うが,小・中・高校の現場では実行可能だろうか.大山:私自身としては是非その方向に進むように考えていきたい.大学生だった頃に何を学んで,なぜ教員になろうと思ったのかを,教員自身に思い出してもらう必要がある.このような研修を通して教員が変われば,教室が変わり生徒も変わるだろう.
2) 「物理チャレンジ」とこれからの物理教育
「物理チャレンジ」を報じる毎日新聞の記事の紹介が座長からあり,その後,北原氏の講演へと続いた:
「物理チャレンジ2005」は,日本における初めての全国高校物理コンテストで,2005年8月12〜15日に岡山県閑谷学校で開催される.主催は,世界物理年日本委員会,日本物理学会,応用物理学会,日本物理教育学会,岡山県・岡山光量子科学研究所.岡山は仁科芳雄博士生誕の地であり,閑谷学校が池田藩の庶民のための高等教育機関であったことと岡山県民の教育への熱意が今回の開催へとつながった.桃太郎をモチーフにしたポスターは,閑谷学校から世界へ出発するようすをイメージしている.日程は,8月12日:受付・交流会,8月13日:理論問題にチャレンジ(5時間)・講演会,8月14日:実験問題にチャレンジ(5時間)・SPring8見学・講演会(外村彰氏),8月15日:表彰式(有馬朗人氏)・公開講演会(毛利衛氏).
2005年3月1日から募集開始,「募集要項」を全国の高校に送付.応募受付と同時に「応募問題」を本人に送付.「応募問題」答案の提出締切りは4月27日.6月上旬までに参加者100名を決定する(日本化学会の「全国高校化学グランプリ」は地方予選で100名を選抜している).生物系の全国コンテストも今年から行われる.
組織は,組織委員会(委員長:北原,副委員長:二宮・毛塚・有山,事務局長:並木,組織委員)が中心となり,文科省,岡山県教育委員会,科学技術振興機構(JST),日本科学技術振興財団(JSF),ドイツ大使館,スイス大使館,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞ほかの後援による.
「物理チャレンジ2005」は2006年国際物理オリンピック(IPhO)派遣選手(5名)の選考を兼ねることになった.IPhO派遣にあたっては「IPhO委員会」(仮称)を結成し,2006年7月IPhOシンガポール大会派遣までの教育プログラムを実施することになる(JSTの支援による).
IPhOは1966年に始まる.2004年IPhO-2004は韓国浦項で開催され(71カ国の選手が参加で過去最多),日本からはオブザーバ6名が派遣された(JSTの支援による).IPhO-2004へのアジアからの参加国・地域は,中国,香港,インド,インドネシア,マレーシア,モンゴル,パキスタン,シンガポール,韓国,台湾,タイ,ベトナム.オブザーバ参加は,日本とスリランカ.非参加国は,フィリピン,カンボジア,ラオス,ミャンマー,バングラデシュ,北朝鮮.
IPhO-2004の運営は以下のようであった:選手は浦項,指導者(引率者)は慶州で別行動し,インターネットも切る.指導者は,試験前日,問題に関する全体討論会(約6時間)の後,各国語に翻訳する(試験当日朝5時締め切り).毎朝「News Letter」が刊行される.盛りだくさんの交流イベントがあり,韓国大統領の ” Physics is
the center of science! ” という歓迎演説もあった.詳しくは,北原・並木の「韓国国際物理オリンピック観戦記」(日本物理学会誌2005年1月号)を参照されたい.
物理コンテストの意義について,その対象はTopかBottomかという議論が従来から行われてきているが,その両方とも必要である.そもそも物理コンテストは,自由な学習・研究を進めている生徒・教員を励ますことをその目的としている.高校生や大学初年度学生が国際的な場を経験することは重要であり,その機会を彼らに与える意義は大きい.生徒のみならず,教員自身も国際交流を経験する中でより多くのものが得られ,教育的意義はたいへん大きい.
2005年1月13〜15日に,世界物理年を記念してパリのUNESCO本部で開催された World Year of Physics Launch
Conference に参加してきた.そこにはIPhO参加者から500名が招待された.日本はIPhOに参加していないので日本の学生は枠外であったが,連絡をとると学会が推薦する学生ならOKということで,世界物理年日本委員会が全国の物理学科対象に募集し,5名を選抜して派遣した.参加した学生は,世界第一線の研究者の深い世界観や研究に対する考え方に触れることができたと感想を述べていた.専門に入る前の若い学生にこのような経験をさせることはたいへん意義があると感じた.
世界物理年日本委員会(会長:有馬朗人(JSF会長,元文相))は,2004年9月30日に,物理系5学会(日本物理学会,応用物理学会,日本物理教育学会,日本生物物理学会,日本天文学会)と日本工学会(電気学会,日本機械学会,レーザー学会ほか)がコア学会になり結成された.世界物理年の,学協会連携,共同事業,募金運動,国際対応をおもに行っている.◆2005.1.13-15:WYP2005 Launch
Conference in Paris への学生派遣;◆2005.3.21-22:「めざせ、未来のアインシュタイン」科学技術館,5000名が来場;◆2005.4.19:Physics enlightens the world(50年前のこの日,A.
Einsteinは76年の生涯を終えた),プリンストンからの世界を結ぶ光のリレーに参加;◆2005.4.23:記念式典(C. N. Yang氏講演),シンポジウム「科学と藝術の出会い:虹の彼方へ」(平山郁夫,木下修二ほか);◆2005.7.28-8.2:夏のイベント「科学の祭典」;◆2005.8.12-15:「物理チャレンジ2005」;◆2005.10.15:「物理と暮らし」;◆2005.10.30-11.2:IUPAP Conference, Physics and Sustainability;◆2005.11.9-10:「自然科学の基礎を訪ねる」を共同企画.
先のTIMSSの結果を見ると,日本の小・中学生は,「科学に関心がない」,「テレビを見る時間が世界最長」,「家庭学習の時間が世界最短」という結果が出ている.「物体を立てても横にしても同じ重さである」ということが分からないのは,買い物の経験がないからではないか.お手伝いをしないなど,科学と生活との結びつきの欠如,現実(生活)と学習の乖離が原因にあるのではないか.「何のために理科・数学を学習するのか分からない」,「理科・数学のイメージがつかめない」という子どもたちの声が現実にある.学術会議などで,いかに科学を多くの人に伝えるか(Public Understanding of Science)ということが議論されているが,科学者や研究者が何を考えているかを子ども達や社会に伝えること(Public Understanding of Research)も必要.
米国AAAS(Science誌を出版している学術団体)は,ハレー彗星が今度来るまでに米国国民の科学技術の基本をつくろうというProject 2061の中で,「煎じ詰めるとScienceに共通するテーマは以下の4つである:systems, models, constancy and change, scale」としている.もし,「科学するとはこのような概念を使うことである」とすれば,日本の大学入学選抜も変わってくる可能性がある(ICUのStudy Ability
Testはこのような能力を見ようとするもの).日本でも,科学者が教育者も交えて,科学の基本は何か,共通テーマは何か,について真剣に議論する必要があるだろう.その上で教育の仕組みも考えなおす必要がある.
ドイツにはキール大学を中心にLeibniz
Institute for Science Educationがあり,理数科教育の教授法,学習過程の研究,学校教育の質の向上,メディア使用,初等教育における教授法の研究が行われている.日本でも,理数科教育を研究するScience Education Centerが必要である(日本ではお茶の水女大につくられようとしている).
パーデュー大学では,物理学生のアウトリーチ活動が単位化されている.将来科学者となっても社会との連携を持ち,理工系学生が初等中等教育への関心を持つことを期待して行われている.参考にすべきだ.
質疑応答 ○:お茶の水大学につくられるScience Education Centerについて詳しく聞きたい.北原:先々週その立ち上げの式典があった.このセンターでは,科学者と教育者が協力して教育を議論し,そこで小・中・高校の教員が研修できる.かつては国立政策研究所の中に科学教育を研究する機能があったが,いまはそれがなくなってきているらしい.日本には,科学者と教育者が一緒になって科学教育を(政策面も含めて)研究する仕組みがない.そのため,教育と科学技術とが分かれてきたところに問題があるのではないか.ドイツのキール大学のセンターは,物理・化学・生物の全オリンピックの教育機能も持っている.
3)
これからの物理教育への産業界の期待
まず企業内でどのような教育を行っているかを述べ,その上で教育機関への期待・要望を個人的見解として述べさせていただくと前置きの後,以下の内容に沿って講演が行われた:
一般的な産業界で研究開発に携わる者に期待されていること:常に情熱を燃やす/自ら目標を設定し,挑戦する独創性と勇気を持つ/深い専門技術と広い視野とを兼ね備える/商品と技術を交感する(消費者に使ってもらうことを念頭において開発する)/情報に対する鋭い感度と洞察力を持つ/プロフィット意識を持つ/技術・マネジメントを効果的・効率的に革新する/未来へ向けて今の行動を選択する/管理面での専門技術を持つ/自分の仕事について十分な表現能力を持つ.
人材育成の基本的考え方:人材育成の基本は自己啓発にある/実践力を発揮する仕事の場が育成の場の主力である/育成の機会は技術者自らが企画し活用するものである/全ての管理者はより多くの人をより早く育成する責任がある/実力発揮を助長する企業風土を保ち続ける.
人材開発の基本:本人の向上意欲に基づく啓発意欲…三自の精神(自発・自治・自覚)/管理者の部下育成に対する責任…執行責任および結果責任/社内教育部門の役割…人材開発の機会提供及び支援.
教育機関への期待:基礎学力…自分の専門や研究の内容よりも,物理や自然科学全般の基礎学力(たとえば,熱力学の3法則やコリオリの力が説明できるなど)を身につけてきて欲しい/夢,好奇心&創造力/哲学,倫理.
受動的学習とは,「見る,聞く,読む」をさし,覚えた内容から,見たこと,聞いたこと,読んだことが解ること.能動的学習とは,「示す,話す,書く」をさし,考えた内容から,知らなかったことが解ること.能動的学習をより多く行ってきていただきたい.ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏は,小学校4年生のときの作文に,「自分の頭で考え,自分の足で歩き,自分の手で作ることの必要性は,今でも,どんな進歩した未来でも同じことだ.ぼくの考え,ぼくの思いは,いつまでもぼくのものでありたい」と書いている.
一般に,[A] Product, System, Compound, etc.と[B] Performance, Specification, etc.との間に,物理・化学・数学などがある.大学などでは[A]を与えて[B]を求めることがよく行われ,これは解析や評価にあたる.このとき,解はユニークに決まる.企業などでは,[B]を与えてそれを満足する[A]を開発することが行われ,これは,最適化し,デザインして合成していくプロセスである.このとき,解はユニークには決まらない.教育する際,この[B]から[A]へのプロセスを取り入れた教育も考慮していただけるといいのではないか.
ノーベル化学賞受賞者の白川英樹氏は,中学校の卒業文集の中で,「高校を卒業したら大学へ入って,現在あるプラスチックの欠点を取り除いたり,色々新しいプラスチックを作り出したい」という内容を書いている.ナイロンやビニールに対する小学生・中学生のときの思いが将来の希望につながっていたことがわかる.
高校時代の目的は「良い大学へ入ること」,大学時代の目的は「良い会社へ入ること」と言い,社会人としての目的は?と聞かれて答えられない社会人がいる.高校時代の目的は「小学校,中学校で学んだ一般教養(社会科学,人文科学,自然科学の基礎)を深めるとともに,将来の目指す方向を模索すること」で,大学時代の目的は「自ら選んだ専門分野の知識,スキルなどを習得すること」,社会人としての目的は「身につけた知識などの更なるスキルアップをはかり,自己実現と社会貢献を具現化すること」と言えるのではないか.ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏曰く,「自分の夢を発見して,持ち続けることが大切.そうすれば,何かが達成できるはず」.
倫理に関して,科学者倫理(盗作,データ捏造,など),技術者倫理(製造責任),ビジネス倫理がある.JABEEでは,技術者倫理を「技術が,社会及び自然に及ぼす影響・効果に関する理解力や責任など,技術者として社会に対する責任を自覚する能力」と定義している.
1859年に「自由論」を書いたJohn Stuart Millは,「判断力のある大人は,自分の生命,身体,財産などあらゆる自分のものに対して自己決定の権限を持つ.他人に危害を及ぼさない限り,たとえ,その決定が当人に不利益なことでも」と言っている.また,Sir James Alfred Ewingは,1933年の大英科学振興協会の総会で次のように言っている:「科学は確かに人類に物質的な幸福をもたらした.だが,倫理の進歩は機械的進歩に伴わず,あまりにも豊富な物質的恵みを処理できずに,人類は戸惑い,自信を失い,不安になっている.引き返すことはできない.どう進むべきであろうか」.
「この世に生を受け,過去から未来へ橋渡しする鎖の一個である私は,未来の人類のために生涯をかけて,何をなすべきか」(在宅ホスピス医 内藤いづみさん).学生の間に,このようなことも考えておいて欲しい.
質疑応答 ○:本当に独創性を持った人間は,大学でも対応しづらい.企業ではどのように対応されているか.田中(一):本人の独創性と会社の方針とが相容れない場合には,本人がつぶれるか,会社を飛び出すかのいずれかになってしまうが,本人の独創性を活かしつつ,会社の方針に従っている者は優遇されている.元来,本人の独創性と会社の方針とは矛盾するものではない.○:島津の田中耕一氏は,小学4年生の頃に自分の考えを持っていたのが立派なのであって,ずっとその考えを持っていたわけではないだろう.彼の話では,彼がいろんな実験をしたのではなく,先生がおもしろい実験をたくさんして見せてくれたらしい.おもしろい実験を見せてもらうことで頭が働き,そこにいろんなものを付け加えてみたくなるのではないか(このことを,子ども達は頭をたくさん使っていると思っているのでは).それを,「材料無しで考えなさい」と無限の自由度を与えてしまうと大変なことを子ども達に要求することになる.企業では,能力の少し進んだところの内容を要求しているのではないか.教育でもそのあたりを意識して取組むべきと考えるが.田中(一):田中耕一氏は先生が提示してくれたやり方を学び,それを乗り越えて自分のやり方でやっていったのではないか.当然これは企業内でもやっていること.「守・破・離」はこのことを意味している.現在の能力より少し上のところで工夫して新しいものを生み出すことは重要で,企業内ではこのような人材が数多くいることが期待される(突拍子もないアイデアを出す人間は,必ずしも必要ではない).全く新しい分野に乗り出す場合には,社内で教育してそれにあたるか,外部から引っ張ってくるかのどちらかであろう.○:大学でも,学力以外に情熱や意欲があり素質のある学生をとろうとして面接をするが,なかなか見分けが付かない.企業では,どのようにして見分けているか.田中(一):企業では,技術系の担当者と人事の担当者の2人が学生1人の面接にあたる(1人あたり面接時間20〜30分程度).ハッタリの学生を見破るのは難しくない.難しいのは口数の少ない学生で,それを見分けるのに時間がかかる.成績は,学部1・2年生の成績をおもに見る.我々はコーチングやカウンセリングの知識があり,人をみる訓練をしているので,大きく外れることはない.○:独創性よりも協調性が大切か.田中(一):一概に協調性が大切とも言えない.協調性も大切な一つだが全てではない,独創性も然り.技術的な側面と人事的な側面で見ている.○:JABEEを企業はどう見ているか.田中(一):私個人は,学生がJABEE認定学科出身かどうかには興味がない.学生のデザイン能力をどう評価するかが問題で,理論物理出身の学生の設計能力をどのように証明してくれるかが問題だったりする.
4)
総合討論会
講演者の大山光晴氏と北原和夫氏,日本物理教育学会会長・霜田光一氏をパネリストに迎えて,並木雅俊氏を座長に,総合討論会が始められた:
並木:全国でも平均的といえる千葉県の高校理科履修状況の報告が,大山氏からあった.高校3年生の「物理II」の履修状況が気になるところである.昨日のJr.セッションでは,元気な高校生の発表が多数あり大変勇気付けられたが,このJr.セッションに引き続き高校生向けに行われる「物理チャレンジ2005」についての紹介とこれからの科学教育に対する提言が,北原氏からあった.霜田会長からは,物理教育に関連してご発言いただければと思う.○:どうして高校1年生で「物理I」を履修させないのか.構造的にはまず物理がくるべきではないのか.高校の先生が物理嫌いになり物理離れしているのではないか.大山:私も必ずしも物理が難しいとは思わない.ただ,高校1年次の理科科目は,前年の6月に教科書発注する関係もあり,多くの場合,選択の余地がない.その際,高校内部で進学希望先の選択科目や2年次での文系・理系の仕分けを考えると,多くても半分しか理系の生徒がいないこともあり,「化学I」を履修する場合が多くなる.○:いまの高校では,1年次に物理を履修することは無理なのか.大山:韓国大統領は「物理は科学の中心だ」といわれたが,高校現場では残念ながらそうではない.○:私もいまの高校では無理だと思うが,それを我々の学会でどうやったら解決できるかを考えなくてはならない.たとえば,指導要領で規定される単位数を変えれば解決するかもしれない.高校で化学が文系・理系共通の選択になっているということだけで,15歳の段階で化学が自然科学の中心にあるとすり込まれてしまい,科学者になる人も行政に関わる人もそう思い込んでしまっている.これを心配しなければならない.新しい指導要領ができるときに,そこがどう位置づけられるかが問題である.○:大学1年生が数学と物理が近い関係のあるのを驚くようでは困る.このどちらも歴史が古く体系化されたものなので,教育に組み込むにはかなりの変更が必要となるだろう.学生のためにいい教育をするのが大変難しい.これについてどうお考えか.霜田:日本では,数学教育と物理や他の理科教育との連携がよくなかった.数年前に名大の浪川先生が中心となって理数系学会の教育問題連絡協議会ができ,お互いに教育に対する活動の連絡が行われてきている.小学校の段階で算数と理科の関連が子どもに伝わっていないのが問題になってきており,国語と理科の関連の重要性も言われ始めている.この連絡協議会を通じて新しい方向性が見えてくるものと期待している.○:そうゆっくりもしておられず,数学と物理双方で本質的な議論をして,迅速に教育の仕組みを変える必要があるのではないか.霜田:自然に対する認識をどのように育てるか.子どもの理性や知能の発達,価値観を形成する環境などを考えなければならず,理科教育だけでなく教育全体の在り方にも関わってくる問題だ.自然科学の目的や科学教育の目的,理性や感性を育てるにはどうしたらいいかなどについて考え,いろいろな試みがなされていく必要がある.北原:数学で教えていることを物理の概念を使って教えると,かなりおもしろく教えることが可能だろう.大学の教養・基礎教育レベルでは,数学と物理の垣根を越えた教育を大胆に行う必要があるのではないか.○:大学では教育を自分達で編成できるので,いろいろな大学でそのような検討はされていると思う.数学系では3年間かけて数学の体系を教え,物理系は物理の中で数学も教える.物理で直感的な数学を学んだ上で,前後してあらためて数学を学ぶことは好ましいことだと,数学の先生方からは歓迎されている.数学教育と物理教育の在り方の解は,必ずしも一意的には決まらないのではないか.少なくとも大学は相談しながらやればいい.心配しているのは,高校までの物理で微積分を使ってはいけないと教わって大学に入ってくるので,数学と物理が関係していると学生に気づかせるのに大変な時間がかかることである.かといって,高校で微積分を使って物理を教えればいいということには必ずしもならず,どこかでしっかり議論すべきだろう.○:私も不必要な縛りのある小・中・高校の教育を心配する.指導要領の余計な縛りをなくし,その上で先生方に自由に工夫して教えてもらうといいのではないか.○:今までの議論に異論はないが,中学・高校の現場では,数学の教育は,物理よりも大変なことになっている.つまり“高度計算技能訓練”はするが,本当の数学は教えられていない.物理を教えていて全然数学が使えない(すでに危機的状況を通り過ぎている).数学教育をあてにせず,物理で必要な数学は物理の中で教えれば,ずいぶん気が楽になるし教えやすくなる.その分,“数学”の時間を物理にまわしてもらいたい.○:問題は大きく二つあると思う.一つは中学・高校までの教育の問題,もう一つは大学の教育の問題.大学で,高校で物理を全く学んできていない学生に補習をするが,大学4年次までに履修すべき内容は決まっている.その内容すべてを学生にsystematicに教えると,途中でいっぱいになってしまっている.内容を減らせば解決する問題ではない.どうしたものか.○:物理が大切なことを,もっと世の中に理解してもらう必要がある.なぜ教育課程が改善されないのか.なぜどうにもならない状況に陥ったのか.世の中や政策的なサポートがないのはどうしてか.物理を学ぶことは,知的好奇心を満たすだけでなく,国家としても個人としても得であることを,より多くの人に納得してもらうべきだ.○:「物理を学ぶのに数学があったほうがいい」とか,「数学を学ぶのに物理が入っているほうが楽しい」と思うのは誰だろうか.小・中・高校の現場では.新しいものが入ってくると困る先生が少なくないことを知っていて欲しい.そういう現場の先生をどう支援するかが重要.○:一番問題なのは,現在大学で教育を受けている学生がこの場にいないことではないか.学生が,どう思っていて,どんな意見があり,どう進めて行きたいか,が反映されていない.北原:世の中の人に納得してもらう前に,科学することが,私達の生活の安全や安心に密接に関係していることを,我々自身が納得しなければいけない.生物に関係した問題だけでなく,温暖化など物理に関連した問題もたくさんある.そういう問題に対して科学者が迅速に発言しているかが問題だ.たとえば,この1月,無人探査機が土星のタイタンに到達したとき,EUではそれが新聞の1面記事となっていた.科学技術の発展が我々の生活と関わっていて,それに皆が関心を持つような文化が大切ではないか.そのためには,我々自身が関心を持っていて,何かが起こったときに学会が世の中に発言できるかどうかがとても大事.宇宙の年齢が137億年とほぼ確定したことはビッグニュースであるはず.これを物理学会あたりが一大事件だといえるかどうか.また113番目の元素を見つけたのは日本の理研だが,それに学会は声明を出したか.並木:米国では普通のおじさんがScientific Americanをカフェなどで読んでそれを語っているが,日本では科学雑誌が売れない.新聞紙上でも科学記事は少ない.サイエンスライターがわるいのではなく,科学者が発信しないからだと言われたりする.○:大山氏の講演で,「良い指導者」が必要だとあったが,まさしくその通り.昨年末に3学会が共同声明を出したが,その中で8番目の項目が最も重要で,学会が教員をサポートしない限り状況は良くならない.教員の大量退職,大量採用に対応できるように教育学部が整備されていない.今のまま理科を勉強しない教員が輩出されても,サポートが必要な教員が増えるばかり.できることは,理科専科の教員を全ての小学校に配置すること.理科専科の教員だけが理科を教えるのではなく(人数的に無理),その小学校のほかの教員の理科の授業をサポートする.学会はその理科専科の教員をサポートする.こういう体制を作る必要がある.全国に理科の研修センターができれば可能になるかもしれない.教育の実務大学院は,教育の訓練に特化し,教育学部以外で理科免許を取ったが小学校の免許を持たない教員が2年間で小学校の免許を取得でき,小学校の管理職にも就けるようにすべき.また,「2006年問題」以上に「2009年問題」が心配だ.つまり,2005年度,初めて高校3年生が習う「物理II」はとても内容が多く,「物理I」でその内容の一部を済ませていなければ「物理I」3単位+「物理II」3単位では到底終わらない(このことをどれくらいの高校教員がわかって教えてきているだろうか).もし「物理II」まで勉強した生徒が自分の弟妹や後輩に“物理をとったらダメだ”と伝えれば,物理選択者が毎年1%ずつ減っていき(センター試験でも同様の現象が起こる),その結果,大学の物理系学生が激減するのが2009年である.2006年度の大学入試は,「物理II」の選択履修の箇所は出さないようにして高校で物理を選択した生徒を何とか救おうとしているが,これは「2009年問題」へ向けての緊急避難的措置.何か対策はないか.大山:お考えが私の考えと大変近いことにびっくりした.専門学部で専門を学んだ学生に,教育実務大学院で小学校教員の免許を取って小学校で教えてもらいたい.また,この1年間「物理II」の指導がしっかり行われるよう指導していきたい(最近は教育委員会が現場に入っていくことも多く,問題が多いことも明らかになってきている).○:各都道府県の教員採用試験問題を見るとかなり高度な内容を要求している.高校で物理を選択していなかった学生は,教育学部で物理を半期の概論程度で済ませ,教員採用試験へ向けてひたすら問題集を解いて,高得点をとって無事採用される.しかし,実験もしてきていないので,採用後すぐにサポートが必要になるのではないか.大山:教科の力も必要だが,教師としてそこで仕事ができないと困るので,やはり人間関係を築ける人を選びたい.研修も,教科指導以外のことを行わなければいけない.実験の指導も手取り足取りしたいのが本音.厳しい状況にはある.○:教育学部に入る段階で,中学校理科の物理が怪しい状況にあり,まず高校では物理をとってきていない.小学校課程へ来て理科2単位だけでちゃんと小学校教員になれてしまう現行の免許法の下で,学ぶ場面が奪われてしまっている.海外の状況を見ると,小学校教員も含めて,かなり高いレベルの理科の学力と,高いレベルの子どもとのコミュニケーション能力とが要求されている.国際的には,教員養成は6年間かけて行う方向であり,すでに,フランス,ドイツ,フィンランドでは大転換している.いまの日本の教員養成課程は,コミュニケーション能力を重視するあまり,学力を切り捨ててしまったと言える.両方の力をきちんとつけるには,やはり,枠組みの大幅な変更が必要.いまの免許法や教員養成課程の枠組みの中で何とかしようとすると,結局,現場に出ていく教員を苦しめ,追い詰めてしまうことになる.予算の枠組み変更も必要だろう.ぜひとも,どのような枠組みにするべきかを学会あげて議論し,それを示して欲しい.日本はいま,そういう時期に来ている.○:千葉県で小学校教員の採用人数は多いが,高校教員が20人と少ないのに驚いた.高校教員20人の内,物理出身者は何人か.果たしてそれで子ども達に夢を伝えられるのか.また,理工系出身の教員が小学校に行くといいといったが,音楽や社会や国語を教えられない先生は,1週間でノイローゼになってしまうのではないか.小学校教員養成課程については,もっと大きな観点から,6年制にした上でどうあるべきか,全教科必修をどうするか,教科担当をどのようにまとめるか,などを検討すべきだ.大山:採用された高校教員20人中,理科が1人で,物理出身者は0人(物理出身者を採用したのは,いまから10年以上前で,現在,物理の最低年齢は34歳).また,理工系学生が小学校教員になる件に関しては,専科という制度もあり,時間をかけて議論しなければいけない.教える情熱や意欲は若い教員にはかなわないという側面はあるので,できれば情熱や意欲のある教員に入って欲しい.○:千葉県公立高校新課程2年次の「物理II」の履修率0%とあったが,3年次の単位数3と「物理II」の内容の多さを考えると,受験までに教科書が終わらないのではないか.「2009年問題」はもう始まっているのでは.大山:結局,選択性を3年次まで引きずった結果がこの状況を引き起こしてしまっている.○:「理科総合A, B」がなければまだしも,これらがある以上は高校2年次に「物理II」を置くことはできない.私のところ(私立中高一貫校)では,高校1年次で理科を週5時間(物理分野週2時間,化学分野週2時間,生物分野週1時間)実施し,「理科総合A」2単位と「理科総合B」2単位を認定するが,それでも高校2年次から「物理II」を全面的に展開するのは難しい.東大が「物理II」の選択大項目範囲を制限してくれたので助かっている.○:理科のIIが付くものは,減少してきてはいるが決まった人数の生徒が毎年履修している.しかし,問題は「物理II」はその決まった人数の者しか選択しなくなること.ここ数年で,理工系学部に行く生徒しか「物理II」を履修しなくなることを心配している.○:私立高校へ行けば「物理II」をとることができるかもしれないが,公立高校では仕組み的にとれないのではないか.○:公立高校でも「物理II」までとることはできる(最後まで終わらないかもしれないが…).公立高校でも毎年決まった人数が物理を履修している.○:高校でどのような履修をさせればいいかという問題だが,小学校から中学校,高校までを含めた履修内容の枠組みの議論が不可欠.高校だけの閉じた枠組みの中だけの議論は,存在しない解を探しているのと同じこと.いまの日本の教育の欠陥は,小学校教員養成課程を特化する方向に全国的に走り出してしまっているところにある.大学法人化以降,小さな教員養成学部では,統合して小学校教員養成に特化している(特化すれば生活科や総合学習の独占状況を残せるからか?).このまま放置していると,小学校教員養成課程と中学校・高校教員養成課程とが完全に分離する危険すらある.理工系学部の教員希望の学生も,中学・高校だけでなく,小学校の教育にも目を向けさせる必要がある.少なくとも小学校高学年までは守備範囲と思っていなくてはならない.さらに,生活科をつくり総合学習をつくり流れを変えたため,12年研修にくる小学校教員は,生活科や総合学習は多いが,理科には1名しか来なかったりする(理科の研修に参加する中学校教員は多いが).小学校教員の間では,生活科や総合学習がメジャーになり,理科はマイナーになってしまっている.そのように構造転換させられてしまっていることに,我々は気づいていない.長期的な展望に立って,小学校段階から自然科学教育の枠組みをつくらないと未来は全く見えてこない.○:教育実務大学院の2年間は,理工系出身の学生には理科の訓練はしなくていいので,小学校教員としての訓練をしてほしい.また,構造変換させられてしまっている問題は重大で,教育関係の先生方がイニシアティブをとって,ぜひ学会を動かしてほしい.その一方で,いまの高校の先生方の悲鳴は,自主的な研修をさせてもらえないこと.自由に研修していいと言うと,校長は,教育委員会が認定した研修しか認めない傾向にあるらしい(いわゆる「ヒラメ現象」).先輩との関連で民間や社会に出て行ってする研修は,人間関係も築けて随分と力が付くものだが,校長はもっとそういう研修をencourageしてほしい.校長は自分の学校内の教育を良くする責任があり,教育を良くすることに対して責任をもつべきだ.校長本来の存在目的が見失われているのではないか.教育委員会と校長は,かつてのようにもっと多様な研修をencourageすべし.大山:専門外の能力を訓練する施設として,千葉県には20年ほど前に「教員養成所」(いま東京都がつくっている「教員養成塾」とは全く趣旨が違う)があった.教育学部以外の学部を出て中学校の免許を持つ教員が,1年間そこに通って小学校の免許を取得した.来年度の大学入試から小・中学校の教員養成学部の定員が増えても,現場教員の数が増えるまでには時間がかかる.それよりもっと即効性のある教育実務大学院が,ぜひとも早く実現して欲しい.また最近,教員に対する外部の評価があまりにも厳しく,それが自由な研修を難しくしている側面がある(年休をとって黙って研修に行くしかないのか.教員が研修に行くのを校長が大いに励ましてくれる時代は確かにあったのだが…).並木:問題点がたくさん出されたが,これらが把握できたということは,これからにつながると考えることができる.世界物理年日本委員会を中心に今年1年間活動が続けられる.また,物理教育委員会でも,今回浮き彫りになったこれらの問題を持ち帰って,さらに議論いただけるものと期待している.じっとしていては何も変わらないので,物理系3学会として何らかの動きを起こしながら変えていかなければならない時期だと痛感した.
3.おわりに
前半の各講演に対する熱心な質疑応答に加え,後半の総合討論会では,実に多様な角度から活発な意見が多数交わされ,いまの日本の自然科学教育およびその周辺に散在する諸問題が,あらためて浮き彫りにされた.この議論をさらに深めていき,新しい動きを学会レベルで起こす必要性を,参加者一同確認できた.
なお,今回の物理3学会共同企画シンポジウムは,日本物理学会と応用物理学会の大会開催期日に重なりがなく,各大会のシンポジウムに講演者が双方向に出向いて実施する形での開催となった.そのため,関係各位にはご無理をお願いすることとなった.また,本報告作成にあたり,講演者ならびに関係各位に原稿を査読していただいた.各位に心より感謝申し上げます.
お詫び:今回の総合討論会は,当初,物理系3学会会長を囲んで行われる予定でしたが,準備段階の不備により,上記報告通りの開催となりました.関係各位ならびに会員のみなさまに,提案者としてここに深くお詫び申し上げます.
日本物理学会「大学の物理教育」誌 (2005-2号)