〔学会報告〕

日本物理学会 2001年秋季大会 物理教育シンポジウム(日本物理教育学会と共催)

主題:物理教育改革へ向けての取組み

―国際的な課題/国内における取組み―

 

田中 忠芳 鹿児島高等予備校,8900051 鹿児島市高麗町1510

 

200191720日に徳島文理大学で開催された日本物理学会2001年秋季大会において,標記の主題で,918日の午前「国際的な課題」と午後「国内における取組み」に分けて,物理教育シンポジウムが開催された。今回のシンポジウムでは物理教育改革に関連して,「国際的な課題」としてJABEEと物理オリンピックが取り上げられ,それぞれ原 康夫氏(帝京平成大情報)と江沢 洋氏(学習院大理)により講演が行われた。また,「国内における取組み」として,理科教科書および検定の実態について滝川洋二氏(ICU高校)に,全国科学技術教育研究センター設立に向けて江尻有郷氏(明大理工)と並木雅俊氏(高千穂大)により,それぞれ講演が行われた。各講演を踏まえて討論ならびに総合討論では活発に意見交換が行われ,物理教育改革が今後進むべき方向について議論が深まった。

 


物理教育改革へ向けての取組み

―国際的な課題―

 

座長:小林 昭三(新潟大教育人間)

 

1.JABEEを通じての物理教育改革の可能性

 

原 康夫(帝京平成大情報

 

世話人から示された題は「大学工学基礎教育における物理教育改革の取組み―JABEEについて―」であったが,JABEEが日本物理学会に期待しているものは「卒業後に産業界で技術者として活躍する学生を育成している大学の物理学分野の技術者教育プログラムに対する外部評価作業に関連学協会として取り組む」ということなので,JABEEの紹介を中心に,このような題で話すことにした。

歴史をたどれば,大学は国王などの公的機関から免許を受けた,高度の専門的職業人養成機関であったといえよう。神学,医学,法学部などは国家資格と結びついたプロフェッショナルの養成学部であり,文学,理学部は高等教育機関の教員養成学部であったといえよう。米国では博士でないと研究者として扱われないが,博士号は免許を受けた大学が与える国家資格である。エンジニアの分野では,中世以来,欧州では職業人のギルドがあり,徒弟として訓練を経て親方になっていた。世界で最初の工学部が大学に誕生したのは日本であった。やがて各国で大学レベルの技術者教育機関が誕生し,米国のProfessional Engineer,英国のChartered Engineerなどのエンジニアの国家資格が生まれた。

エンジニア資格とは,欧米で発達・確立されたシステムで,国あるいは地域で定める特定の選考プロセスを修了した技術者に与えられる資格である。資格は,単に高い知的および応用的能力を証明するに留まらず,各専門職業集団に固有な倫理規定に従って行動することを保証する。資格の取得とその維持には,規定されたエンジニア教育,一定期間の実地経験,最終認定試験,継続専門教育がセットになって要求される。実際に認定を行う機関は,国あるいは地域の委託を受けた技術者団体(民間)が多く,多くの専門技術者協会と協力して実務を担当する。エンジニア資格が確立している国あるいは地域では,コンサルタント,公共のプロジェクト調査・計画・評価,公共もしくは民間の公益施設,構造物,機械設備,プロセス設備,受配電設備,建造物,機器などの設計,環境保全,品質保証,工事監督など,特に国民の生命,安全,健康,福祉に深く関連する分野に関する高度の専門知識が必要とされており,これらは,国あるいは地域で定める特定の選考プロセスを修了した技術者に与えられる資格を持ったエンジニアが独占的に行う仕事とされている。

米国の場合,規定されたエンジニア教育は,ABET(米国工学教育基準協会)がその基準に基づいて審査・認定した4年制のエンジニア教育機関である。その新しい基準はEngineering2000で,基礎レベル(basic level)の基準と専門分野別(advanced level)の基準に分かれる。基礎レベルの基準のいくつかを紹介する。

基準1.学生

エンジニア教育の評価において重視されるのは,学生および卒業生の質と活動状況(パーフォーマンス)である…

基準3.教育課程の成果と評価

エンジニア教育課程の成果は,卒業生が次の

(a) 数学,科学,工学の知識の応用能力,

(b) 実験を設計・実行し,データを分析・解釈する能力,

(c) 要求に適合するシステム,コンポーネントあるいはプロセスを設計する能力,

(d) 学際的(多領域)ティームで機能できる能力,

(e) 工学上の問題を同定し,定式化し,解決できる能力,

(f) 職業的責任および倫理的責任の理解,

(g) 効果的なコミュニケーション能力,

(h) エンジニアリングによる解決のインパクトを世界的および社会的な関連で理解するために必要な幅広い教育,

(i) 生涯を通じて学ぶ必要性の認識および生涯を通じて学ぶ能力,

(j) 今日的問題の知識,

(k) エンジニア業務で技術,スキル,新しい道具を使う能力,

をもつかどうかで評価される。

教育成果の評価は,設計プロジェクトを含む学生のポートフォリオ(明細書),全国規模の専門分野に関する知識のテスト結果,卒業生の専門的成果やキャリア・ディベロップメント活動についての文書化した調査結果(サーベイ),雇用主の調査(サーベイ),卒業生の職業的データなどを含む証拠に基づいて行うよう規定されている。

基準4.教育課程の内容

教育課程は次の内容を含んでいなければならない。

(a) 領域(discipline)に適切な,大学レベルの数学および基礎科学(そのうちのいくつかは実験を含む)の組み合わせ:1年間。

(b) 学生の学習分野に適切なエンジニアリング科学とエンジニアリング・デザインから構成された工学(engineering topics):1年半。

(c) カリキュラムの技術的内容を補い,課程と大学の目標に沿った一般教育。

 なお,ABETは1年間を32 semester hours と定義しているので,(a)の1年間は32単位で,(b)の1年半は48単位である。

新しい基礎レベルの認定基準の特徴は,授業科目と授業内容についての規定がないことである。この結果,例えば,数学教育と物理教育と工学教育を融合した教育課程などの新しい教育課程が可能になる。改訂前の認定基準には,授業科目とその内容が具体的に記されていた。

さて,199911月に発足した日本技術者教育認定機構(Japan Accreditation Board for Engineering Education,略称JABEE)は,技術系学協会と密接に連携しながら,大学など高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムが,国際的に通用するエンジニア教育に対する要求基準を満たしているかどうかを,統一的基準に基づいて審査・評価し,要求水準を満たしている教育プログラムを認定し,国際的な同等性を確保し,技術者教育の向上と国際的に通用する技術者の要請を通じて社会と産業の発展に寄与することを目的とする非政府団体である,と自らを位置付けている。

20017月現在,JABEEで審査を行う工学分野は以下の14分野である:化学および化学関連分野,機械および機械関連分野,材料および材料関連分野,地球・資源およびその関連分野,情報処理および情報処理技術関連分野,電気・電子・情報通信およびその関連分野,土木および土木関連分野,農業工学関連分野,工学(融合複合・新領域)関連分野,建築学および建築学関連分野,物理・応用物理学関連分野,経営工学関連分野,農学一般関連分野,森林および森林関連分野。

JABEEの認定作業の特徴は以下のとおり:

1)技術者教育の改善・向上を図る――狭義の工学教育だけではなく,農学,理学の関連分野も含む。

2)教育プログラムを審査対象にする――1学科に複数の教育プログラムが存在してもよい。

3)学習・教育目標,教育方法,教育水準などについては,各教育プログラムの自主性を最大限に尊重する。

4)教師が何を教えたかより,学生が何を学んだかの重視――卒業生の能力の最低保証,学生の学習目標の重視。

5)社会,環境,倫理の重視――技術が社会および自然に及ぼす影響・効果に関する理解力や責任など,技術者として社会に対する責任を自覚する能力(技術者倫理)。

6)技術者の幅広い定義――技術者とは「数理科学,自然科学および人工科学等の知識を駆使し,社会や環境に対する影響を予見しながら資源と自然力を経済的に活用し,人類の利益と安全に貢献するハード・ソフトの人工物やシステムを研究・開発・製造・運用・維持する専門職業に携わる専門職業人」。

7)自己点検評価をフィードバックして教育を継続的に向上することの重視。

認定とは,以下の二つを実施し,基準を満たしている技術者教育プログラムを公表することで,そのプログラムの修了者が将来技術業などにつくために必要な教育を受けていることを社会(世界)に公表することである:

(1) 各技術者教育プログラムで技術者教育の質の保証が確実にされているかどうかの確認,すなわち「質の保証システム」の監査。

(2) 保証されている水準が定められた認定基準以上かどうかの審査。

 「教育の質を保証する」とは,プログラムに関与する全ての関係者(学生を含む)が,適切な学習目標の設定やその達成に関して何をなすべきかを認識し,確実に実施し,学習目標を達成した学生のみを卒業させ,さらに学習目標と達成度のレベルを継続的に向上させていること。教育プログラムは,カリキュラムのみならず,教育方法,教育設備・環境,教員,評価等を含む,入学から卒業までの全教育システムで,1学科に複数存在してもかまわない。

日本技術者教育認定基準は,技術業に携わる専門職業人(技術者)を養成する高等教育機関における教育を認定するために定められた基準であり,認定を希望する教育プログラムは,下記の基準を全て満足していることを証明しなければならない:

基準1 学習・教育目標

(1) 自立した技術者に必要な下記の知識・能力を全て網羅した具体的な学習・教育目標が設定され,公開されていること。

(a)     地球的視点から多面的に物事を考える能力とその素養。

(b)     技術が社会および自然に及ぼす影響・効果に関する理解力や責任など,技術者として社会に対する責任を自覚する能力(技術者倫理)

(c)      数学,自然科学,情報技術に関する知識とそれらを応用できる能力。

(d)     該当する分野の専門技術に関する知識とそれらを問題解決に応用できる能力。

(e)     種々の科学・技術・情報を利用して社会の要求を解決するためのデザイン能力。

(f)      日本語による論理的な記述力,口頭発表力,討議などのコミュニケーション能力および国際的に通用するコミュニケーション基礎能力。

(g)     自主的,継続的に学習できる能力。

(h)     与えられた制約の下で計画的に仕事を進め,まとめる能力。

(2) 当該高等教育機関の伝統,資源,卒業生の活躍分野などを考慮して特色を出す努力がなされていること。

(3) 学習・教育目標が社会の要求や学生の要望を考慮して決定されていること。

基準2 学習・教育の量

(1) 当該プログラムの修了生は,4年間に相当する学習を行い,124単位以上を取得し,学士の称号を得ていること。

(2) 当該プログラムの修了生は,総学習保証時間(講義,実験,演習,実習などで教員と接している時間と研究室等で勉学,研究などをしていることが証明できる時間の和)が,2000時間以上の学習・教育時間を経ていること。また,その内,300時間以上の人文科学,社会科学等(語学教育を含む)300時間以上の数学,自然科学,情報技術および1000時間以上の専門技術に関する学習・教育時間を含むこと。

基準3 教育手段

 入学者選抜方法,教育方法,教育組織。

基準4 教育環境

 施設・設備,財源,学生への支援体制。

基準5 学習・教育目標達成度の評価と証明

(1) 教員の立場から,学習・教育目標がどの程度達成され,どこまで教育効果が上がっているかを定量的に評価するための評価基準が作成され,それに基づいて評価が実施されること。

(2) 学生にも学習・教育目標に対する自分自身の達成度を評価させ,学習に反映していること。

(3) その他の方法(外部試験,修了生へのアンケート,修了生の就職状況,就職先からの評価などが考えられる)。

(4) 学習・教育目標の総合的な達成度を判定する評価基準を満たした学生のみを当該プログラムの修了生としていること。

基準6 教育改善

 教育点検システム,継続的改善。

分野別要件:当該分野での学習・教育目標を達成するために必要な教育内容(主として基準1(1)(d)に該当する知識と能力)および教員(団)について必要に応じて具体的な規定をするものである。

物理・応用物理学関連分野の分野別要件

1.修得すべき知識・能力

 本プログラムの修了生は以下の知識・能力を身につけている必要がある。

(1)     基礎能力

a) 数学(微分積分学,線形代数学,ベクトル解析,物理数学),物理学(力学,電磁気学,熱物理学,量子物理学),基礎実験,情報科学に関する基礎知識および基礎技術。

b) a)を駆使して課題を理解し,的確に解決して,それらを適切に表現し,その内容を正しく伝達できる基礎能力。

(2)     専門能力

 本分野の主要領域(物理・応用物理一般,物性・材料,物理情報計測,エレクトロニクス・素子)のうち少なくとも1領域に関する以下の能力。

a) 各領域に対するプログラムの設定目標時実現に必要な専門を系統的に修得した専門知識および専門技術。

b) a)の知識・技術を駆使して課題を探求し,的確に解決する能力。

c) 本分野に携わる専門技術者が経験する実務上の課題を理解し,的確に解決して,それらを適切に表現し,その内容を正しく伝達できる能力。

(報告者注:応用物理学会のJABEE関連ホームページhttp://www.jsap.or.jp/activities/education/jabee/sub1.htmlに分野別要件の詳しい補足説明がある。)

2.教員

() 教員団は,プログラムの設定目標実現に要求される本分野の関係する教育内容に関して教える能力を有する教員で組織されていること。

原氏のコメント:物理学分野の分野別要件は,@おおむねIOP(英国物理学会)の認定ガイドラインに準じ,A専門能力に対する要求能力 a), b), c) を卒業研究およびそれに必要な専門科目1科目で可能,とするのが現実的だと思う。難しい授業を受けさせるより,回路,計測の基礎的な実験能力,プログラミング能力をつけさせて,学生にプロジェクト研究をさせるほうが重要だと思う。

専門分野別の教育に関する追加基準である分野別要件の中で,物理・応用物理学関連分野以外に基礎物理教育が明記されている項目

機械および機械関連分野・・・自然科学については物理学の基礎に関する知識。

電気・電子・情報通信およびその関連分野・・・プログラムの目標実現に必要な基礎となる物理法則と物理原理に関する理論的知識(専門に関する基礎学力)。

土木および土木関連分野・・・自然科学(物理,化学,生物,地学のうち少なくとも1つ)の基礎。

農業工学関連分野・・・応用数学,物理学,化学または生物および農業・環境関連科目を共通分野とし,これらの共通分野を修得させる。

工学(融合複合・新領域)関連分野・・・基礎能力b)物理,化学,生命科学など:一般物理,一般化学,地球物理学,分子生物学,遺伝子工学,環境科学の内の最低3科目についての基礎知識とそれらを用いた問題解決能力。

建築学および建築学関連分野・・・建築環境・設備分野では,建築環境・設備技術者に必要な関連科学と,音,光,熱,空気,水,電気,機械,電磁気,情報,人間の生理・心理についての専門的知識を持ち,他の技術者と協力して建築の設計,生産,管理維持等に環境・設備面から寄与できる能力。

農学一般関連分野・・・(1)基礎能力 生命科学,生物資源科学および環境科学の各関連科目のほか,応用化学,応用物理学または経済学の関連科目の修得によって得られる理論的知識。

森林および森林関連分野・・・補足説明(a) 共通基準に示された数学,自然科学,技術に関する基礎知識。

数学,自然科学に関する知識とそれらを応用できる能力の水準

分野によって内容と水準は異なってよい。最低水準は,ABETなどの国際水準を調査して決めることを考えている。

大学における物理学専攻の教育

日本の大学で物理学を専攻する学生は,1学年あたり約4000人と推測される。そのうちで,大学院の物理学専攻に進学する学生はおおよそ5001000人で,大学の物理の教員になるものは100人程度以下。高校教員やジャーナリストになる学生もいるが,大多数は産業界でエンジニアになる。このような状況にもかかわらず,日本の高校物理教育,大学基礎物理教育,物理の専門教育は,

『高校⇒大学⇒大学院⇒物理学研究者』

という蒸留過程の構成部分として計画,実施され,

『高校⇒大学⇒大学院⇒エンジニア』

という過程の適切な構成部分にはなっていないと判断される。

アメリカ物理学会の調査によると,米国の大学で物理学を専攻した学生の82%が産業界,その他の私企業,政府などで物理学,工学,数学,化学,地質学などの分野の仕事をしている。大学院に進んだ学生は物理学専攻卒業生の15%で,その半数が教授になっている。この調査によれば,物理を専攻し,産業界およびその他の私企業で働いている人たちの過半数が,仕事で使うスキルは,問題解決のスキル90%,人間関係のスキル80%,技術的な文書の作文能力70%,マネージメントのスキル60%,コンピュータのスキル60-75%,ビジネスの原理60%であるとこたえ,これに対して,物理の知識は20%強であるとこたえている。ただし,問題解決のスキルの中に物理のスキルは含まれると思われるが,いずれにしても本人はこのように認識している。

調査対象の人たちが解決しようとする問題の例が,車の流れ,地震,気候条件などであれば,物理の詳しい知識はそれほど重要ではないかもしれないし,企業がマイクロエレクトロニクス,コンピュータ関連技術,光通信,新しい機能材料,バイオテクノロジーの分野に進出すれば,大学で学んだ知識よりも,生涯にわたって学習する能力を身に付けることの方が必要であり,このことに物理出身者は適していると思われる。このような状況は日本でも共通なので,JABEEの技術者教育認定基準は,物理学専攻の教育改善に大いに参考になると期待される。

物理学専攻の教育の将来

基本的に各大学の問題であるが,外部評価の対象になる。教育目標と学生の学習目標は?卒業生のその後のキャリアが重要な決定因子の一つ。

大学⇒大学院⇒大学の物理の研究者,

大学⇒企業の技術者,

大学⇒教師,

つまり,狭義の専門教育か,広義の一般教育か。理学教育とエンジニア教育との両立は?

高等教育発展のトロウM.Trow模型:

エリート段階           10

マス段階                      40

ユニバーサル段階      40%<

ユニバーサル段階では,誰でも大学に行く。大学に行かないと安定した雇用の対象外。大学を卒業すると2極化:専門職,起業 or フリーター。最近の学生は自ら学ばない,考えない。記憶したり,体得する必要な知識のほかに,創造(発明,発見,起業)に必要な能力,体験などをどう教育課程に取り入れるか。物理の専門家集団としての日本物理学会の役割は?

想定される審査対象学科は,応物系29学科2500名,物理系56学科4000名。年平均20プログラム。審査員はその3〜4倍の数が必要。

 少し古くなるが,研究報告書「国際的に通用するエンジニア教育課程における基礎物理教育の研究」をご希望の方は,hara@thu.ac.jpまで。

参 考

ワシントン協定 米国,英国,カナダ,豪州,ニュージーランド,アイルランドは,国際相互承認協定(ワシントン・アコード)を1989年に締結し,その後に参加を認められた香港,南アフリカを含む参加国が,ABETの認定方式に準拠(または一部修正)して認定した工業教育プログラムの卒業生を,同等の能力と認め合うこととしている。20016月に開催されたワシントン・アコード加盟国の総会で,JABEEは暫定加盟が認められた。

報告者注:上記報告内容は,原氏の許可を得て,講演時に配布された講演資料をもとに作成した。

討 論

江尻:物理学会として審査員の集団を作って審査を始めようというのか。

原:審査をするには,まず審査基準が必要。その基準については,まだ明確になっていない。

波田野:物理・応用物理学関連分野を立ち上げるにあたり,@日本物理学会会員の多くが工学基礎教育に携わっており,それに対して重大な関心ならびに責任がある,A社会に出てエンジニアとして活躍しようとする物理学科の学生をサポートする必要性,という2点に関しJABEEは大きな役割をするだろうという認識があった。物理学会は工学,工学基礎教育と少し距離をおいていた。応用物理学会のほうが敏感に対応し,応用物理学会が現在幹事学会になっている。JABEE20016月にワシントン協定に暫定加盟したが,約2年後には正式加盟することになるだろう。そうなると,JABEEの認定作業が国際的に認定されることになる。今後,IOPの認定ガイドラインを参考にして,ABETを翻訳して作成した条項を日本に合った形に修正する必要がある。2000年度で20プログラムが試行審査を終えた。現在本審査を計画中で,本審査を通過したプログラムは,JABEEが正式加盟後,遡って認定される。物理学会の中でも多くの審査員を擁しなければならないが,研修を受けなければならず,現在のところ2名。近いうちに10名以上の人員を擁したいと考えている。

原:物理教育委員会発足当時から,大学における基礎教育の改善に物理学会は取り組む必要があることを私は言ってきた。国際的に通用する技術者教育の検討会に参加した際,物理屋がやる物理教育はあまりあてにされていない様子だったが,その後インフォーマルに準備が進められてきて,今回のJABEE参加となった。

江沢:奇麗事が並べられているような気がする。「技術者倫理」がうたわれ,社会に対する影響をきちんと理解するとあるが,そうすると日本でできなくなる研究もあると思うが,大丈夫か。

原:各大学で行われている「技術者倫理教育」を認定するわけで,その具体的な内容については大学側に任されている。また,認定を受けているプログラムの卒業生が就職に有利になる可能性があり,今後,物理学科の卒業生が不利にならないように努力していただく必要がある。

:認定されていることが学生募集に利用され,本来の目的とかけ離れた方向に行く心配はないか。

原:資格のある人が責任を持って作業を行うということが大切なのであり,認定を受けていることを公表することで社会の評価を得ることができるのは当然ではないか。

:現行の資格との整合性は検討されているか。

原:JABEEは教育プログラムの国際的水準との整合性を第1に問題にし,教育水準の向上,卒業生が最低水準をもっていることの保証を目的としている。

JABEEは大学に対して資格を与えるのであって,医師や弁護士のように個人に資格を与える訳ではないのでは。また,大学はその資格に満たない学生を卒業させることができなくなり,深刻な問題にならないか。

:200141日から施行されている新しい技術士制度では,「JABEEによって認定された教育課程を修了したものは,1次試験を免除して修習技術士になる」ことが定められており,その点で個人の資格と関わっている。JABEEの認定は,本来卒業時の学生のレベルが下がらないようにするためであり,卒業できない学生が増えることについては,みなさん心配されている。なお,教育プログラムを修了した人はその資格を得られ(教職課程などと同様),修了できなかった人は通常の学科卒ということになる,といわれている。

覧具:JABEE参加について,物理学会はかねてから組織的に取り組んできた(報告者注:http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/topics/jabee.htmlを参照)。物理教育委員会や物理学会理事会で検討が重ねられ,その議論を踏まえて物理学会と応物学会の会長間の合意で,両学会に加えて物理・応用物理関連学協会の参加を得て連絡協議会を発足させ,「物理・応用物理学関連分野」としてのJABEE審査を実施する準備を進めている。江沢先生のご指摘の通り,形式的な教育プログラム審査になってしまっては,本来の意図から外れてしまう。実のある制度にできれば,日本の大学物理教育改善のための手段として有効に機能できるのではないか?審査基準や具体的な実施方法についてまだ詰めていかなければならないところが多い。会員の方々のご意見を今後の検討に積極的に反映させながら意味のある制度を作り上げることを期待している。ちなみに,英国ではJABEEの物理分野審査に相当するものをすでに1970年代から英国物理学会(IOP)が行ってきている。認定された教育プログラムの修了者であることがIOP会員になるための(絶対的ではないが)要件の一つにもなっており,この審査認定はIOP学会活動の重要な一部になっている。

 

座長:田中 忠芳(鹿児島高等予備校)

 

2.物理オリンピックに参加しよう

―第2回アジア物理オリンピックを観戦して―

 

江沢 洋(学習院大理)

 

2001年4月末から5月初めにかけて行われた「アジア物理オリンピック」にオブザーバーとして行ってきた。

物理オリンピック

高校生(20歳未満)の物理コンテスト。理論・実験各5時間連続。「物理学の学校教育の分野における国際的接触(contact)をはかる」。国際物理オリンピックは1967年から開催され,現在6070カ国が参加,アジア物理オリンピックは2000年(インドネシア・ジャカルタ)から始まり,今年は台湾・台北で行われ12カ国が参加。

国際ならびにアジア物理オリンピックの規約には「どんな政治的な理由によろうとも,そのティームが参加を拒否されることはない」とある。

2回アジア物理オリンピック(台北大会)

 2001422日〜51日(国際オリンピックの2ヶ月以上前)。12カ国(イスラエル,インド,インドネシア,オーストラリア,カザフスタン,シンガポール,タイ,台湾,ベトナム,マレーシア,モンゴル,ヨルダン)が参加。カタール(来年から参加)と日本からobserverが参加。

423日:午前中,開会式。台湾総統が20世紀物理学の歴史を語る。教育大臣,行政院国家科学院副院長,中国学士院院長Y.T.Leeが代読なしで挨拶。いずれも「一生懸命が楽しい。勝ち負けは問題でない」と強調。挨拶の間に,国楽演奏,伝統祭儀楽舞,モダンダンス。午後には,生徒と教師は分離(代表団は,生徒8名,引率者(物理のエキスパート)2名からなる)。生徒は台北市内観光。教師は理論の問題を検討し(22時まで),そのあと翻訳。

424日:理論の試験。会場は師範大学の図書館の閲覧室。8:30-13:30,休みなし,途中おやつが出る。そのあと,refreshmentsForest ParkNational Theater)。

425日:生徒は休みで,Art MuseumPacific Green BayNorthern Coast Scenic Spotを観光。教師は朝9:00までに理論の採点結果を提出。自分の国の答案を自分の国の教師が採点し,その後,採点協議が行われる。教師は,故宮博物館を観光し,午後は実験の問題検討。

426日:実験の試験。会場は師範大学の体育館。Aグループは8:30-13:30Bグループは14:00-19:00,いずれも休みなしでおやつが出る。RefreshmentsCeramics Museumへ。

427日:1999年地震の被災地,科学博物館,shoppingへ。

428日:生徒は陽明山 National Park,故宮博物館へ。教師はパラレルセッションで採点結果の協議(9:00-15:00)。解答は数式のみとなっていた。生徒・教師ともにHost Familyと晩餐。

429日:自由時間。夜,科学講演会。

430日:Industrial Science ParkSynchrotron Radiation Res. Centerへ。16:00-18:00に閉会式。優勝者発表(金,銀,銅賞)。女性優秀賞,独創的な解答,初めて参加した国の成績優秀者に対しても賞(メダルの他にPCなどの景品)があった。行政院院長,文部大臣などの挨拶。間に,台湾歌曲,舞獅子など。

理論の問題1

 現在,(地球の自転周期)<(月の公転周期)。地球表面と海水の摩擦がTidal bulgedragし,月の引力がTidal bulgeを引き戻す。このことが地球の自転周期を遅くし,月の公転周期と一致するか。それはいつか。(問題を協議する前には海水面の形を求める問題も含まれていた。)

理論の問題2

 電荷+と−が剛体棒でつながれ,磁束密度Bの磁場中に置かれて運動する時の保存量を求めよ。この剛体棒の回転の角運動量がBと並行だったとする。ω0<ωであると1回転できない。ωcはいくらか。ω0>ωのとき,x方向に移動する最大距離はいくらか。

理論の問題3

 平面格子からの電子線の散乱角分布の幅が温度の関数として与えられ,原子の振動の振幅を求める。Wallerの公式は問題に与えられている。

実験の問題

太陽電池が与えられて,その特性を測り,電池に用いられた物質を推定する。

与えられた実験器具:太陽電池,digital electrical multimeter 2個,1.5V乾電池 2個,精密可変抵抗器,白色光源,偏光版 2枚,赤・オレンジ・黄色のフィルタ,フィルタと偏光版のための光学台,光学ベンチ45cmの物差,方眼紙10枚,対数方眼紙5枚,遮光版 2枚。

1.太陽電池の(光を当てないときの)I-V特性は?

2.白色光を当てたとき,(a)用いた回路を図に示せ。(b)短絡電流はいくらか。(c)閉回路電圧を求めよ。(d)抵抗値を変えながらI-V特性を求めよ。(e)出力の最大値はいくらか。

3.太陽電池の模型として,理想電流源(光によって電流をおこす),理想ダイオード,分流抵抗,直流抵抗からなるものを考える。(a)太陽電池に光があたっているときの等価回路を求めよ。(b)等価回路に対するI-V関係を求めよ。

4.(a) I  vs(光の相対強度)を測定し,関数関係を求めよ。(b) V  vs (光の相対強度)を測定し,関数関係を求めよ。

5.(a)3つのフィルターを用いてカットオフ波長とIの関係を出せ。(b)太陽電池が正常に動く最長の波長を見積もれ。(c)この太陽電池を作っている物質は何か。

(ヒント:半導体のバンドギャップは,InAs  0.36eVGe 0.67eV,・・・)

成績

 トップの3人(金賞の7人のうち)および銅賞11人の下位3人の得点:

  理 論  実 験  合 計   国

     (30)       (20)      (50)

  <金賞7人のうちトップ3人>

   16.40     18.10     34.50      台湾

    13.00     18.00     31.00      台湾

    13.80     17.00     30.80     ベトナム

<銅賞11人のうち下位3人>

  12.30      9.20     21.50      タイ

     5.60     15.30     20.90    イスラエル

     8.00     12.70     20.70   インドネシア

参加生徒のトレーニング

国により様々。

台湾:全国的な試験をして3,000人の中から200人を選び通信指導し,その中から30人を選び,台北の師範学校で2週間の合宿。10人を選んで1ヶ月の特別訓練。そのうち8人がアジアオリンピックへ,その中から5人が,2ヵ月後の国際オリンピックへ。

オーストラリア:全国試験で1,000人を選び,high school physics の訓練。それから25人を選び,アメリカの大学初年級のテキストHalliday-Resnik(高級な方)を使って合宿。そのうち15人にウイーンで特訓。その中の8人がアジアオリンピックへ。別の5人が国際オリンピックへ(多数に機会を)。費用は,US$150,000=2千万円)を鉱業会社が寄付,同額を政府が出す。オリンピック専従者2名+オリンピック卒業生が協力して上記の教育を担当。

イスラエル:夏休みに1ヶ月,台北に来る前に5日間,合宿。

タイ:全国から1,000人にmultiple choice testをして100人を選び,2週間の訓練。学校が休みのときに,テストをして25人を選び,2週間の訓練。そこから8人を選んでアジアオリンピックへ。費用は全て政府から(以前は産業界からも寄付があったが,経済情勢が悪化してなくなった)。

シンガポール:全国統一試験で25人を選ぶ。300人が受験。大学で特訓,教科書はなし。その中からアジアオリンピックと国際オリンピックには別の人を(機会は多くの人にという政府の方針)。費用は全額政府が負担。

日本の参加

 参加国から「日本に是非参加してほしい」,「日本が参加すれば多いに活気付く」という期待が高い。日本も参加したほうがいいのではないか。日本の教育はかなり独善的になってきており,世界のスタンダードから離れてきている。そこに世界の風を当てることは意義がある。また,若者に刺激を与えることも必要。

参加の条件:広い層からの選抜および特訓の組織。主催国となる用意。規則に「どの参加国も参加後5年以内に主催国になる意思を表明しなければならない」とある。台湾の例では,費用はUS$0.5Million(=6千万円),90%は政府から。台北市や企業からも寄付。

討 論

原:数学オリンピックの費用は,日本の場合どうなっているか。

江沢:数学オリンピックは1企業がサポートのための費用を出していると聞いている。なお,日本数学会は,数学オリンピックに反対はしないという立場らしい(問題に偏りがあるというのが理由か)。また,各国から参加した生徒は必ずしも物理に進まないらしいが,それでいいのではないかというのが各国の考えのようだ。

○:台北大会の場合,主催はどこで実動部隊はどういう人たちだったのか。また各国からの引率者はどういう人か。

江沢:今回の場合,主催は師範大学と形式的にはなっているが,費用は政府が90%出資している。師範大学以外の大学も協力している。引率者2名のうち1人は大学の物理の先生で,もう1人が高校の物理の先生。規約の中に,(オリンピックの運動の)主催者は文部省もしくは物理学会のような物理の組織とある。

原:参加して5年以内に主催国になる場合,問題は主催国がつくっていいのか。

江沢:問題は主催国がつくって,参加国による協議の後に最終的に決める。

原:問題をつくるときには,問題を募集してもいいのでは。日本がいいと思っている問題を示して,世界に影響を及ぼすことも可能で,日本の教育にとっていいのでは。

江沢:物理オリンピックの問題が必ずしもいいと思わない。どう考えるかを問う問題にしないと物理の問題にならない。

原:JABEEとの関連で,エンジニアのトレーニングに物理オリンピックのような問題を1学期使って考えさせるというのはどうか。オリンピックをどう位置付けるかも重要。

江沢:オリンピックに特別な人が参加するのは仕方がない。スポーツの場合と同様である。

○:物理オリンピックへの参加は,国際的な接触の中で現在日本で取り組まれている物理教育の方向に沿うものか,それとは異質なものか。参加した生徒同士のコンタクトは期待できると思うが。

江沢:オリンピックは方向としては日本の物理教育と少し異質であると思うが,異質な方向を排除する理由はない。物理学会としてそれぞれの方向を認めてはどうか。

波田野:日本が参加するとなるといろんな問題が出てくる。かなり以前から日本に対する参加の働きかけがあり,物理学会の中で議論をし,参加しないという態度をとりつづけてきているが,それで果たしていいのか。オリンピックは日本の物理教育にとってどういう意味があるのか。海外との交流の一つとして,実際にどういうものかをみてきてもらうために江沢先生に行っていただいた。それを受けて理事会直属で,この問題について議論することになっている。応物学会からは伊藤先生に行っていただき,伊藤先生は積極的に参加すべきという意向だと聞いている。ようやく物理学会と応物学会が協力して取り組みだしたというのが現状。

川勝:以前から,国際物理オリンピックの事務局長が日本にこられて強い参加要請がある。私も名大で事務局長に会ったが,そのとき私は慎重論だった。国際的なことに取り組むのは将来的に重要だが,日本の物理教育の根本問題の解決に,今,果たして重要か。優先する課題が山積しているとき,これに現場教員が振り回されることも予想されるので,なんらかの条件整備が必要。そう考えているうちに,その後,深い検討もされず,先送りが続いた。優れた生徒を育てることも必要だが,多様で自由な物理教育の土壌を耕す趣旨が,ねじ曲げられないようにする。その手だてが日本では重要では。

滝川:交流するという意味では参加するのがいいのではないか。私がイギリスに留学した際,日本の指導要領では高校2年生から物理を履修するのでカリキュラム的に参加は無理だと言うと,特別なことをして1番にならなくてもいい,参加することが大事なのだと言われ,確かにそうだと思った。参加すれば勝たなきゃいけないと思っているのがいけないのでは。選抜はしたほうがいいが,特訓をする必要はなく,日本の高校生がどこまで柔軟に考えることができるかを試す,その機会を広げる工夫をしたほうがいいのではないか。

原:ASPENに参加するときも資金がないという理由で渋ったが,資金がないというのは理由にならない。物理オリンピックで参加していないのは日本だけ(先進国で)だが,日本の教育がうまく行っているから参加しないのか,うまく行っていないから参加しないのか。特訓の問題も,生徒の気持ちの問題で,我々がいいとかわるいとか決める問題ではない。

鈴木:全国的な動きになることで,違った問題が出てこないか心配される。

田中:暗記中心の受験勉強に風穴を開けるためにも,オリンピックの問題に取り組ませることは意義がある。日本の教育への影響を見極めた上での決断が必要。

江沢:FIRST STEP TO NOBRL PRIZE IN PHYSICSという論文(英語)のコンテストもある。岡山大学の某先生は,選考委員になるなど積極的に取り組んでおられるが,日本からの応募がない。過去に1例だけあり選内佳作に入った。

江尻:日本が「まず個人参加」ということは有り得るか。

江沢:先ほどの「個人としての参加」というのは,政治的な問題との関連で出てきた。政治的に特別な状態にあり,国や地域として参加が難しいときに限って個人としての参加を認めるというもので,日本はそれには当てはまらないのではないか。

川勝:国として参加するなら文部科学省が中心になって,物理学会が主体となって参加するなら物理学会の誰かがが具体的な作業をしなければならないわけで,「誰かがやってくれるだろう」と無責任ではいられない。例えば,公的団体を物理学会が応援するなら現実味を帯びると思うが,そのあたり,どう考えておられるのか。

原:政府や物理学会が,主体的に行ってくれるグループを承認するものと解釈すべきではないか。

大野:具体的な選抜の方法はどうするか。選抜にどの程度の労力がいるのか。また,日本は能力自体が均一だという前提で教育が行われてきている。機会は平等でも物理の能力については差異が生まれてくることを踏まえて,選抜のあとのフォロー(自分にどう自信を持つかとか,奢らないなど)が必要と思うが。

江沢:選抜に関して,中国はかなり広範な試験を何段階も行っている。オリンピック熱がすごく,北京には塾があるほど。子どもがとても熱心になり,家に帰っても喜んでオリンピックの問題を解いている。

大野:選抜のプロセスをあまり組織的なものにしてしまうと,それ自身に変な価値が付与されてしまい,さらに商業価値が出てくると歪んだものになるとも考えられる。私自身は,選抜の段階で特にこだわらず,物理が好きで参加してみたいという生徒が集まったところで8人ほど選ぶ程度でいいのではないかと思う。

波田野:私も同感。日本化学会は,数年後に化学オリンピックに参加することを目指して,すでに全国規模のコンペを行っている。各支部が積極的に動いて,毎年夏休みに数千人規模の生徒を集め,2段階の選抜を行い,最終的には賞状を出しているようだ。マスコミが取り上げていないせいか,それほど熱狂的になってはいない。それを行うとなると高校の参加が必要となり組織力がいる。物理教育の現状をみると現実的ではないのでは。

江沢:全国的に足並みそろえてする必要はないのでは。各地の物理研究会を中心にはじめるのも可能かも。それが広がっていけば幸いだ。実際,国際オリンピックはヨーロッパの5〜6カ国から始まった(今では6070カ国が参加)。そういう形でいいのではないか。

田中:このテーマに関連して,2002年春の年次大会で応応物学会物教育分科会・日本物理教育学会と共同企画シンポジウムを開くことが計画されている(3月27日を予定)。物理オリンピックについて,日本の物理教育の中でどのような位置付けが可能か,もし前向きに取り組むとすればどのようなことに留意すべきか等については,今後,応物学会・物理教育学会と協議すべきもの。今回のみなさんからの意見を,今後の検討に活かしたい。

 

物理教育改革へ向けての取組み

―国内における取組み―

 

座長:鈴木 亨(筑波大附高)

 

3.理科教科書および検定の実態と

理科教育改革へ向けての取組み

 

滝川 洋二(ICU高校)

 

「ガリレオ工房」という研究会では新しい実験の工夫や教育の仕方に取り組んできた。どうしてこうなってしまうのかいう文部行政と,その一方,一生懸命動けば状況が変わるもので,今後どう変えていこうかという,この2点について話す。

20014月の新学習指導要領の検定結果公表を受け,新聞各紙の対応は大きく2つに分かれた。1つは歴史教科書に対するもので,もう1つは理科・数学の学力低下を危惧するもの。

新学習指導要領は上限ではなく最低線を示すと公表されていたが,教科書検定は厳しいもので,社会科で意見があまり付かなかったのに対し,理科は「程度が高い」,「データの数が多い」,「余計なことを書くな」などという理由で指導要領の基準に合うように削らされた。例えば,高校「物理T」で元素の周期律表が削除される,中学「理科」で岩石は1種類ずつなど,教える現場で必要となる事柄でさえも削除されている。検定官は「自然科学を教える」ということに疎いのでは。現象面の共通点を見つけて法則性を見出すのが自然科学で,そのための例を減らすことと,内容を削ることとは別。基本的な理解が妨げられる可能性がある。検定する側に中身と教材の混乱がある。中身でなく教材を減らされ,教える現場は混乱している。「物理T」などは教える順序まで指定されている。日本全体として学力が下がるのは必至。高校教科書に対して検定をなくす方向に進むべきだ。

 1994年の物理・応物・物理教育3学会会長声明のあと,他の学会も相次いで声明を出した。1992年に3都市で開かれた「科学の祭典」が2001年度は全国80箇所で開催されるなど,理科を知るための活動がボランティアを中心に広がっている。新学習指導要領が決まる1998年頃から,理科・数学の中で学力低下を表す具体的なデータが数多く出てきて,その後,文部科学省内部でも新しい動きが出てきている。今回,理科・数学は内容を減らしすぎたという意見もある。

「理科カリキュラムを考える会」は危機感を持っている。世界各国が科学教育に力を入れている中で,日本だけが力を抜いた状況。イギリスでは,日本の時間に換算して義務教育で1,200時間理科教育を行っているが,日本は640時間。アメリカの中学2年生は95%が毎日理科を学んでいるが,日本は毎週3時間。日本は時間数が少ない上に,中身も受験勉強のための教育内容になっている。20016月に,自民党文教部会が科学予算の1%を科学教育に使うことを決め,それを受けて文科省も動き始めている。そんな中,意欲的な教育研究をする先生方を支援して,教科書や教材を全て含んだ具体的なカリキュラムを何種類も作っていこうとしているので,より多くの人の参加していただきたい。

討 論

田口:大学側は何を期待されているのか。

滝川:カリキュラムの内容をつくるのは大学の先生だけでは無理。優れた中身を提起していくことが大切で,それをまとめながらいっしょに動いていただくことが必要。科研費申請などにおいても各地域で支援していただけると助かる。イギリスでは,最先端の技術が高校の中に入ってきているが,これは高校の先生だけではできない。

○:つくったものをどのようにして文科省とつなぐのか。科研費申請においても条件整備が必要では。

滝川:特に一つにまとめようとは思っていない。文科省が規制緩和することを目指している。学習指導要領は基準であって強制ではない,検定は間違いを正すだけで拘束力を持たない,という方向が望ましい。世界に提案できるようないいものをいくつもつくりたい。イギリスの「アドバンシング物理」も6つあるカリキュラムの中の1つで,よりいいものが選ばれる,そういう動きを日本でも作りたい。

原:科研費の募集要項は高校には来ないので,大学側で何ができるかを検討すべき。

大野:教えるひとまとまり(モジュール)をつくっていき,それらをどう束ねるかが今後の問題で,その仕組み作りが必要。今はいいものを見る目が出来てきていると思う。

小林:自分が作ったものをWeb上に公開できるようになっており,それらにインセンティブを受ける,いいフィードバックが働く環境が整ってきている。

 

座長:川勝 博(香川大教育)

 

4.「全国科学技術教育研究センター」設立へ向けて

―センターの構想―

 

江尻 有郷(明治大理工)

 

「大学の物理教育」誌2001-2号,pp.57-60に掲載した「全国科学技術教育研究センター設立の構想」にもあるように,設立の趣旨は「21世紀の我が国の理科教育の方向を生み出す主体となるべき科学教育研究者集団を創り出そう」というもので,2001年春の学会(中央大)で科学教育研究所の設立を提案し,学会参加者を発起人として動き始めたところ。この春から今までの進行状況は,速いのか遅いのか分からないが,みなさんからご意見を伺いたい。

どの学会でもモジュールの教材開発が行われているが,全体を見渡した取組みも必要で,全国共同利用の研究機関を考えている。理科関連学会の動きを踏まえた基本方針:

1)21世紀の日本の科学教育ならびに技術教育の目標を立てる。

2)その目標に沿ったカリキュラムおよび指導法を研究し世に問う。

3)教員養成制度を見直し,養成と研修内容を研究して,優れた教師を育成する制度とプロセスを研究し,提案する。

4)教育のIT化のあるべき姿を研究し,その方向に沿ったIT教材を開発し,それを普及・実用化を進める。

5)研究センターは,いわゆる共同利用研究所とし,広く全国の研究者,教育現場の教師が利用し,参加できるものとする。制度面では,現在の政治状況にとらわれず,真に日本の将来を見つめた未来志向の研究センター案とする。

関連学会の会長にも発起人に参加して頂いている。2001年9月に学術会議第6会議室で第1回発起人協議会を開き,センター構想の確認をし,発起人百人計画,学術会議他研連との連携,シンポジウム企画,事務局・資金(科研費)について議論し,了承された。より多くに方に,発起人に参加していただきたい。

 

5.「全国科学技術教育研究センター」設立へ向けて

―経過の報告―

 

並木 雅俊(高千穂大)

 

いろいろ試算してみると,なかなか資金がかかる。現実のものにしていくためには,どうすればいいか。

この研究機関は国の機関ではふさわしくない?ある大学に所属させるか?各大学の研究センターは不適格であり,1大学に持っていくのは無理。また,国立教育研究所が2001年1月から国立教育政策研究所に改組され,科学教育センターがなくなった。

 関係する先生方の意見を集めて方策を検討したい。

討 論

江沢:どうも理科教育のやり方は,いいものは1つである」という考え方が根底にあるように思えるが,滝川さんの地方分権的な考え方のほうがずっと健全だと思う。1つ研究所を作って,何かいい教育をつくろうとするのは危険ではないか。

江尻:研究スタッフが集まって,そこで研究しようというものであって,滝川さんたちの運動を支えていくセンターになり得ると考えている。

江沢:継続的なセンターがなくてもやっていけるのでは。

原:私も江沢さんの考えに賛成。これまでの物理教育,科学教育の成果があるとすれば,“Nothing is good for everybody.”の発見である。発起人と物理教育分科とは切り離していただきたい。

兵頭:「学術会議の他研連との連携」とあったが,物件連との連携がすでに行われているという誤解を招きやすい。物件連,物理教育委員会でも,まだ議論されていない。

江尻:物件連ならびに他研連にも理解していただけるよう呼びかけるという意味であり,表現が不十分であった。

大野:従来,新しい教科書を作ったときに,たたかれたり干されたりしたことを思うと,学会の役割として,新しい動きをまもっていくことがあるのでは。現場の先生が新しいことをするときに,大学の先生と共同で行うことでそれが守られたりする現実があるので。ただ,このセンターがそれに該当するかは別にして。

霜田:これまで,中・小学校の先生が自主的な研究をするような場がほとんどなかった。そのような場が提供される可能性があるという期待から,私も発起人になっている。私立学校では自主的な取組みが行われてきているが,公立学校の場合,校長の派遣で理科センターや教育センターに行くということしかない。大学の先生と共同で行うような教育研究が全国的に広がっていくことが,他の教科においても望ましいと考える。

兵頭:大野先生,霜田先生の意見に賛成。江尻先生の発表でも「科学教育研究者集団を創り出そう」とある。「入れ物」をまず先に作ろうというところに引っ掛かっている人が多いのでは。大学関係者と小・中・高校の先生方との連携が必要だということは,学術会議の報告にも書いてあり,こちらのほうがより大切である。

江尻:私がセンター設立という発想になったのは,戦後,教育研究が十分に積み重ねられるとはいえず,いい教育研究が埋もれ,なかなか日本の理科教育をよくする方向に行かなかったところにある。運動の成果をもっと実りあるものにする必要がある。1本に纏め上げようとは思っていない。

江沢:日本の理科教育の運動は成果をあげていないというが,たくさんの成果をあげていると思う。文部省にコントロールされている学校は多いが,そうでないグループ,学校はある。

原:アメリカの物理学会なら各地区で高校と大学の教員の連帯が組織されているPhysics Alliance)。シカゴにはレーダーマンのScience Education Centerがある。その場その場で柔軟に多極的に展開していくのがこれからのあるべきスタイルでは。

○:最近物理出身の先生方が校長になり,危機感を持って理科教育に取り組んでいる。自分達で行う力をそがないために,地元で頑張っている保護者・生徒・先生を後押しするほうがいいのではないか。

滝川:国は教育に資金は出せるが,民間の活動を支援できる科学教育のための費用の受け皿を心配している。今までの体制の中でそれを行おうとしてもうまく動かないだろう。受けた資金を民間の活動を支援するために配分するための受け皿をつくることが必要。もしその受け皿がおかしいときは政府を動かすよりは容易(笑)。イギリスで行われているように,費用を出して先生を自由にして,カリキュラムを作るために没頭させることも必要。科学教育のための後方支援をどこかがしなければならず,そのための動きを作る上では重要である。

並木:中央集権的な考えでセンターを作ろうと感じさせてしまったのは,私どもの責任。諸先生方からお叱りを受けながら軌道修正して行きたい。

原:有限期限付きで行うならいい。また,「全ての人のとっていいというものはない」という前提に立って考えて進めなければいけないと思う。

○:このセンターが「物性研」的な役割をしてはどうかと思う。現在全国に理科教育センターがあるが,その全国版がこのセンターであればいいと思うが。

総合討論

○:物理オリンピックの参加は高校生が主なので,日本では大学受験生が実質的に該当し,高校物理で微積分を扱うか,小・中学校から高校・大学1年生までの各段階で物理はどこまでやるのかの議論がもっとあっていい。そういう議論をしないままオリンピック参加を議論しても混乱を招くだけ。今の高校の物理で何を教えようとしているかとても分かりづらい(例えば質点の力学なのか,具体的な剛体の力学なのか)。足元をもっと固めるべき。

江沢:確かに指導要領に従って行われている教育はよくないと私は思う。ただ,そこを固めてからというのもいいが,日本の教育を世界にさらして日本の教育を再認識するということは可能。日本の教育を見直す機縁となると思う。

並木:江沢先生の本にもあるが,教育は学校だけで行うものではない。必要ならば自分で本を買って微積分を勉強してもいい。

○:もちろんそのとおりで,物理オリンピックの議論の前に,この分科で,高校物理で微積分を入れないのかという議論があるべき。

並木:10年前この分科で,微積分で高校の物理(力学)を教えようというシンポジウムを23回行ったが,高校の先生の反対もあり,大きな壁があった。

兵頭:物理オリンピックに関しては,やろうと言っている人が本当に出来るのかが問題で,物理学会の中で出来ることが確認されてから高校の先生の話を持っていくべき。オリンピックが教育一般にとっていいのか悪いのかという議論になるが,それ以外に,誰が行うのか,開催国になったときの費用を誰が持つのか(文部科学省が準備?),英語に対するサポート,実験を同時に同じ条件で組む(高校の先生のサポートが必要),問題の程度が高い,参加して順位が低くても「参加したことに意義がある」と胸を張れるか,特訓をどこかでするか,成績優秀者の特典(大学入学の優遇)などを考えておく必要あり。

霜田:オリンピックの参加条件はどうだったか。また,10数年前に検討したときは,実験装置を参加者1人に1組づつ計250組準備できないという理由から断った。

江沢:年齢制限は,競技の行われる年の630日に20歳になっていない者で,高校を卒業していても大学に入っていなければよい。実験は今回のアジアオリンピックのようにいくつかのグループに分けて行う方法がある。

兵頭:以前は引率者の費用も開催国が出していたが,いまは引率者は自国の費用でとなっている。アジアオリンピックと国際オリンピックはどちらも毎年行われていて,どちらに参加するかを決める必要がある。

原:高校の理数科は教科書がないが,理数物理はどこまでやるのか。

兵頭:理数物理は基本的に高校物理の指導要領を受けて行うが,例えば波の式などは扱えるようにした。また,理科総合A,Bと理科基礎は必修から外し,物理,化学,生物,地学から3科目必修とした。

川勝:今後高校で発展的な内容を扱っていいが,大学の先生が高校の先生をサポートすることに関して意見は?

小林:小・中・高校の教育内容を物理学会がencourageする「軟らかいシステム」をつくる必要がある。

○:例えば高校で催しをしようとしても,費用面をどこに相談していいか分からなかった。このような前向きな物理教育の交流の場に,今後も参加させていただきたい。

○:大学の先生は高校のカリキュラムを,高校の先生は小・中学校のカリキュラムを十分に知らないので,江尻先生が考えておられるような組織が必要では。ただ,地方からどんな形でそこに参加していけるのだろうか。また,従来の教科書におけるオームの法則やフックの法則の取り扱いには自己矛盾がある。教科書の内容をもっと吟味しなくてはならない。

滝川:「理科カリキュラムを考える会」は,とにかく動かなければならないという必要性から始まった。動きながら考えることが大切。現状を変えなければならないという認識は同じだと思うし,変えられる時代になっている。

兵頭:2年前から毎月13時間,小・中・高校の先生とdiscussionをしているが大変勉強になっている。難しいことをやさしく教えようとするのではなくて,それらをどの段階で教えればいいのかを考えなければならない。

波田野:今はインターネットで情報交換できる時代。資金をそんなにかけなくても,情報交換の場は出来るかもしれない。活発な議論が出来たことに感謝している。

 

報告者後記:今回の議論を踏まえ,2002年春の日本物理学会第57回年次大会では,326日午後に,物理教育シンポジウム「高校と大学の接続改善の試み」が開催されます。また,327日には,立命館大学びわこ・くさつキャンパスと東海大学湘南キャンパスとを高速デジタル回線で結んで,午前は,応用物理学会物理教育分科会・日本物理教育学会・日本物理学会物理教育分科の共同企画シンポジウム「物理オリンピックを考える」が,午後は,応用物理学会・日本物理学会の共催でJABEEに関するシンポジウム「日本技術者教育認定機構JABEEについて―物理・応用物理学関連分野での審査試行開始にあたって―」が開催されます。


日本物理教育学会誌「物理教育」 第50巻 第1号 (2002) pp.59-70.




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